義なき「大勝」の空虚/映画『ハンサン』と今の日本
アマプラで観た映画『ハンサン ―龍の出現―』
自然な日本語
今までこの種の映画(外国、特に韓国や欧米で作られた、日本の歴史や武士をテーマにした映画)に出てくる日本人は、不自然な日本語を話すステレオタイプの悪役ばかりという印象がありました。
しかし、この作品は違います。
韓国の俳優たちが猛特訓したという日本語は、日本人かと思うほどの熱量に溢れていました。
彼らは日本武将を、単なる敵役ではなく強大で知的なプロフェッショナルとして描き出していたのです。
大義
映像の迫力も凄まじいものでしたが、それ以上に心に残ったのは、日本人の描き方がどこか同情的ですらあったことです。
劇中、捕虜となった日本兵・俊沙(ジュンサ)が、朝鮮の名将李舜臣(イ・スンシン)の掲げる
これは国と国の戦いではない 義と不義の戦いだ
という言葉に触れ、自らの国の不条理を悟るシーンがあります。
秀吉という、晩年の狂気に取り憑かれた巨大な権力。
その私欲のために無理な出兵を強行され、功名心と内輪揉めに明け暮れながら疲弊していく現場の武将たち……。
彼らが負けたのは、決して武器が足りなかったからではありません。
戦うための「大義」がなかったからです。
その誠実な描き方に、同じ日本人として時代を超えた救いと、同時に今の自分たちに通じる寂しさを感じてしまいました。
印象的だったキャラクター/多層的な視点
1. 「俊沙(ジュンサ)」という存在 捕虜となり、自国の「不義」を悟る彼は、まさに「狂った権力に翻弄される良心ある日本人」を体現していました。
2. 敵ながら天晴れな「脇坂安治」 ピョン・ヨハン演じる脇坂も、卑劣な悪役ではなく、イ・スンシンを徹底的に研究する知的で執念深い「武士」でした。
だからこそ、彼が敗北した時の表情には、観ている側もやりきれない切なさを感じてしまうのです。
現実の日本
2月8日の投開票を前に、メディアは「高市自民党が大勝し、単独過半数を確保する勢い」だと報じています。
しかし、その勝利の数字の中に、果たして「義」はあるのでしょうか。
高市氏の放つ「強い言葉」は、国内の支持を集めるには効率がいいのかもしれません。
ですが、その言葉が海を越えたとき、かつて秀吉の野望が現場の武士を苦しめたのと同じことが起きています。
トップが放つ「外交の義」を欠いた言葉のせいで、海外で暮らす、あるいは旅をする日本人が冷ややかな視線にさらされているのです。
現に中国や韓国へ行けば、ときおり肩身の狭い思いをします。
政治家が振り回す「不義の剣」の責任を、名もなき私たちが異国の街角で背負わされているのではないでしょうか。
歴史は繰り返すと言います。
大義なき勝利は、いつか必ず自滅します。
映画の中の日本軍がそうであったように、数と勢いに溺れた組織は芯から腐り、やがて砂上の楼閣のように崩れ去るでしょう。
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