静かな海に響く声 〜 長生炭鉱跡、記憶をたどる旅
福岡から宇部へ、いざ出発!


博多駅から乗った新幹線、何も考えず、そのときホームにいた新幹線に乗りました。
いやにピンクだなーと思ったら・・

キティちゃん!最近の新幹線は!?


海に眠る魂を迎えに行く旅へ

長生炭鉱のことを知ってますか?
かつて山口県宇部市・床波海岸に存在した海底炭鉱。戦時下の増産体制のもと、多くの石炭産出が求められる中、「水非常」は起きた。1942年2月、坑口からおよそ1km奥へ入った坑道の天盤が崩壊。海水が浸水し、183名もの坑内労働者が犠牲となった。そのうち136人は、植民地支配下であった朝鮮の人々だった。冷たい海に呑まれた遺骨はみな、海底に眠ったままだった。
2025年8月26日、ダイバーたちの手によって、80年以上もの間、海底でこの日を待ち続けていたであろう、歯も残された頭蓋骨とみられる遺骨が地上へ連れ帰られました。前日に発見された遺骨に続き、そのすぐ傍から見つかりました。

このニュースで初めて長生炭鉱について知ったのです。

かつて日本の近代化を支えた長生炭鉱。1942年の事故で多くの命が失われ、その歴史と共に海底へと沈んでいきました。
長らく忘れられていた場所の記憶が、今、発掘調査という形で、そして遺骨の発見という形で、生々しく私たちの前に蘇っています。
海に眠っていた方々が、80年の時を経てようやく地上へと戻ることができた、その歴史的な瞬間の直後に、この地を訪れることができました。



長く生きるという名称、皮肉です。


これは単なる旅ではなく、犠牲となった方々の魂に思いを馳せ、静かに見守るための特別な訪問だと感じています。
9月27日、私はその場所へ向かいました。
福岡から宇部まで足を延ばし、この歴史的な風景をこの目で見てきました。
潮風に吹かれながら、悠久の時を経て海に沈んだ炭鉱の記憶に思いを馳せる時間は、きっと忘れられないものになるでしょう。
広大な瀬戸内海に、コンクリートの柱がいくつも突き出ているのをご存知でしょうか。
これは、かつて海底深くへと続いていた坑道の入り口、「ピーヤ」と呼ばれるものです。

上の写真で遠くのほうに立つピーヤの横に小さく見える点は発掘するボートです。
ちょうど私が海を見ているときに3名のダイバーがトラックにボートを積んでやってきて海に降りて行きました。

発掘はまだまだ続いているんですね
事故から時を超えて、今もなお海面に立ち続ける姿は、当時の人々の苦労と、その場所で確かにあった営みを静かに物語っているようです。
絵で見る長生炭鉱での労働と事故まで






今回の旅でもスケッチブックを持参しました。
その際に新しいペンに挑戦、このペン、角度によって太さが変えられます。
